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【千早赤阪村のおはなし】元国宝『建水分神社』

2009-10-29 05:43


おはようございます。私が杉田です。
すっかり秋めいてきましたね。
 
今日は村の氏神でもある建水分神社(タケミクマリジンジャ)通称水分神社(スイブンジンジャ)のご紹介です。
古来より金剛山鎮守として、また楠木氏の氏神として崇敬されました。
 
重要文化財に指定されている本殿は三殿で構成されています。中殿に一間社春日造、
左右両殿に二間社流造、各殿を渡廊で連結するという全国でも唯一の珍しい様式で、
「水分造」とも呼ばれています。構造の細部も優秀巧緻で建築上の模範とされています。
明治33年に大阪府の神社建築として初めて特別保護建造物(旧国宝)に指定され、
昭和25年に重要文化財の指定を受けました。但し通常は非公開です。
 
社伝によれば、崇神天皇5年(紀元前92年)、諸国が飢饉となったとき、各地に溜池や溝を
作ることが勧められたが、このときに金剛葛城の山麓に水分神が祀られたのに始まります。
延喜式神名帳に「河内国石川郡建水分神社」と記載されていいます。「上水分社」の呼称は、
美具久留御魂神社(富田林市宮町)を下水分社と称するのに対応したものです。
 
元の鎮座地は現在地より北約100mの水越川のほとりにありましたが、南北朝時代に兵火にかかり、
荒廃しました。このため建武元年(1334年)、後醍醐天皇の勅命を受けた楠木正成が、現在地に本殿、
拝殿、鐘楼などを再建し遷座しました。延元2年(1337年)4月27日、最高位である正一位の神階を授けました。
 
中世、織田信長軍の河内国攻略の際に社領を没収され一時衰退するが、豊臣秀吉が社領を寄進し、
復旧されました。明治6年の社格制定の際に付近18ヵ村の総鎮守産土神の故を以て郷社に列格しました。
明治40年に神饌幣帛供進社に指定され、氏子地域内の17神社を合祀し、大正2年に府社に昇格しました。
 
由緒ある村の守り神である神社でしたが、昨年、参道の改修工事で石の階段を壊しコンクリート張りに
したのは残念。