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【知恵の森】すべては占いできまる!?『江戸の陰陽師―天海のランドスケープデザイン』宮元 健次 (著)

2010-01-24 08:38


「結婚式は大安がよい」、「葬式は友引を避ける」

近代化し、インターネット時代全盛の現在でも歴注の中の六曜は気になるものです。前時代的な名残として見過ごされがちですが、さまざまな風習が私たちの生活に大きな影響力を持ちます。

 

本書は家康、秀忠、家光に仕え幕府の宗教担当ブレーンとして活躍した天海が行った江戸の街づくりに施した秘術の実態について明らかにする。江戸が世界一の大都市まで発展した日本的風水、陰陽五行思想や道教とはどのようなものだったのだろうか?

 

天海とは明智光秀の後身説もささやかれるが、蘆名家出身説が有力。関東天台宗の高僧として名高い人物であった。幕府の中でも強権の家康に対してそのクッション役として大名からも信頼があり多くの相談役を務めた。秀忠に伝えた『長寿は 祖食 正直 日湯 陀羅尼 時折 ご下風 あそばさるべし』は健康で長生きしたければ、美食をつつしみ、心を苦しめる嘘いつわりの言動はせず、毎日入浴し、お経を読み、ときどき屁をこき自然体で生なされは有名なお話。家康が江戸城に入城したのは81日(旧暦)。この日は「八朔」と呼ばれ農村では初めての収穫を祝う吉日です。その後、江戸幕府の創立記念日として重要な祭日の一つに数えられた。

 

江戸に家康が入城した際は見渡す限りの湿地帯で当時の家臣はみな不満を抱いたが、天海にとってそこは四神相応の理想の土地だった。ではなぜ、天海はこの土地にこだわったのだろうか?

 

当時、それまで都だった京都は北に山があり、南に水がある。これは四神相応の考え方をもとに桓武天皇が作られた理想の都だった。天海はこの四神相応の再現を江戸に求めた。四神相応は北に山があるということは、南斜面に面し日当たりのよい土地を言う。また、北側に斜面を背にしているため、関東ではからっ風、京都では比叡おろしを避けることができる。さらに、南に水があると夏に吹く南風が水辺で冷やされ涼風となる。非常に利にかなっている。つまり東に川、西に道、南に湖か海、北に山を持つ地形にそれぞれ、青龍、白虎、朱雀、玄武といった空想の神獣を当てはまられる土地を理想とした。

 

他にも、徹底的に天海は鬼門に寺社仏閣を設け鬼を遠ざける工夫を凝らす。たとえば、北東に浅草寺、南西に日枝神社。この2つの位置を直線で結ぶと江戸城、本丸が重なる工夫がされている。また、堀を「の」字を書くように張り巡らせていき街を無限に拡張していく。まさにインフレスパイラルを起こし江戸の発展に努めた。

 

このような四神相応のシステムは古来の作庭書にも記載される当時のテクノロジーとして応用された。

現在の節約志向で自重気味なエコロジーではなく風水の思想をもとに壮大なスケールの水、人、物が循環する環境全体のモデルを編み出した。現在私たちが忘れかけたものを呼び起こしてくれる非常に良書です。ぜひ家を建てる方、庭に興味がある方におススメです。