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【千早赤阪村のおはなし】歴史に残る寄手塚・身方塚

2009-10-05 07:56


こんにちは。杉田です。
村、一番の有名人は間違いなく楠木正成だろう。
その由縁の1つとして寄手塚と身方塚は有名なお話です。

寄手塚は、葛城山付近から産出する角閃石黒雲母石英閃緑岩(かくせんせきくろうんもせきえいせんりょくがん)を
使用した石造五輪塔で、1331~1333年(元弘1~3年)の千早・赤阪の戦いで戦死した鎌倉勢 の
敵軍兵士の霊を弔うために楠木正成が建立した。「寄手」とは、敵軍の兵士のことを指すのだが、
正成はあえて、敵という表現を使わず、寄手という表現を使って魂を静めた。
味方の兵を弔うための身方塚よりも、寄手塚の方が大きい理由は、そのためだといわれています。

身方塚は、赤く小さな石榴石(ざくろいし)を含んだ、黒雲母花崗岩(くろうんもかこうがん)を使用しています。
こちらは、戦死した味方(身方)の霊を弔うために建立したといわれています。

味方の兵ばかりではなく、敵兵の慰霊碑を建てるところからも、楠木正成の人気の高さをうかがい知ることができます。



寄手塚


身方塚

道府県指定重要文化財