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【物見遊山】偉人、聖徳太子が眠る『叡福寺』へ行ってみた

2011-02-12 10:14




聖徳太子のお札が姿を消して久しいですが、あの風格、存在感は忘れがたいものがありました。

さて大阪府、太子町にある『叡福寺』は聖徳太子墓を守護するために、推古天皇によって建立され、奈良時代に聖武天皇が大伽藍を整備したと伝えられています。
また、聖徳太子の母 、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后が死去したのでこの墓に葬られ、更に推古30年(622年)には太子と妃の膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)とが同時期に亡くなり、この同じ墓に葬られたことにより、三骨一廟とよばれていいます。






















平安時代以後、聖徳太子信仰の霊場となり、空海や親鸞 、日蓮など多くの高僧も訪れる。戦国時代末期には織田信長の焼き討ちにより全焼、その後豊臣秀頼により聖霊殿が再建され、以後次第に再建整備がすすみました。

余談ですが、戦前にお札に使われていた肖像は、戦後、連合軍最高司令部(GHQ)の命令により使用を禁止されました。しかし、当時の一萬田(いちまだ)日銀総裁が「聖徳太子は『和を以って貴しと為す』と説いた平和主義者である」と主張したことが受け入れられ、聖徳太子だけは戦後もお札に登場することになりました。このため、「お札といえば聖徳太子」と言えるほど国民に親しまれることに。