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【知恵の森】願わくは、桜の咲くころに。西行法師終焉の地『弘川寺』

2011-02-27 09:50


願はくは 花の下にて春死なむ
その如月の望月のころ

西行法師 『山家集』








賑やかな大阪市内から車で1時間ほど。まだ田園風景が残る大阪府南河内。
役行者の創建と伝えられる葛城山の麓に弘川寺はある。
ここは、歌人として名高い西行法師終焉の地として知られている。その他にも薬師如来像を本尊として、天武朝期に勅願寺となり行基や空海もここで修行したと伝えられている。


境内にはひっそりとしていますが、西行記念館があり、西行直筆といわれる掛け軸をはじめ、西行法師にまつわる数多くの資料が展示されている。また花と月をこよなく愛した西行法師にまつわり、樹齢350年余の海棠、隅屋桜、ツバキや梅も多く植えられている。

























ちなみに、『願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ』の如月は2月で西行法師の命日は2月16日なので、「花の下」の花は梅か桜か論議を呼びますが、この歌は、西行の家集の山家集の「花の歌あまたよみけるに」の桜の一群の中にありますの。従って、桜を指します。また如月は、旧暦の二月で、新暦だと3月上旬から4月上旬まで。

実は、この1190年二月の満月は、16日だったのです。しかし、お釈迦様の悟に憧れていた西行は、お釈迦様が亡くなった日、2月15日に死にたいと詠ったものとされております。

この世の美しさの月と桜が咲く中に。

このため、俳句の季語では、旧暦の二月十五日を西行忌としており、この歌からだそうです。